2014/10/22

STUDIO D'ARTISANの物語 episode 2「運命の場所」


前回までのお話はコチラ→ episode 1「Back to 70s, マリジュアン」


「日本で最初にセルビッチジーンズ」を作ったブランド STUDIO D'ARTISANの物語
episode 2「運命の場所」

まず、アルチザンは「旧式の織り機」で織り上げたセルビッチ(耳)付きの生地と、当時から今もジーンズの主流である大量生産向けの「革新機」で織り上げた生地の違いに注目した。最も大きな違いは使われている糸。「旧式の織り機」で織られた生地に使われる糸は重く頑丈なムラ糸と呼ばれる糸であるが、高速で生地を織り上げていく「革新機」ではこの太く重い糸を織り上げることはできない。この違いこそ、旧式の織り機で織られた生地にのみ宿るフィット感であることに気がついた。

しかし、どこを探せばこの旧式の織り機でデニム生地を織ってもらえるのだろうか?
インターネットも携帯もない時代、あるのは自らの身ひとつ。アルチザンは日本全国の生地の生産業者、織屋を一軒一軒回った。あてなどない。とにかく自分の足で行動するしかなかった。
だが、メーカーでもない、いちショップオーナーの彼に対する風当たりは思いのほか厳しかった。

門前払いは当たり前。何の情報も得られず、何の成果も挙げられぬ日々の連続だったが、どんなに邪険に扱われようと、どんなに貧しい思いをしようと、アルチザンはひとつも苦労だとは思わなかった。しかし、先が見えぬ手探りの道をただ一人で歩き続けなければならない「孤独」こそが、アルチザンにとって最も辛かった。

そんな孤独にもヘコたれず、己の信念を貫いた男の熱意は備後の地で遂に身を結ぶ。
元来、伝統的に帆布の生産が盛んだった備後地方に、アルチザンが夢にまで見た「旧式の織り機」が存在したのだ。運命の織り機は、まるでアルチザンがやって来るのを長い間そこで待っていたかのように、ひっそりと佇んでいた。だが、最も大きな出会いは機械ではなく人だった。

こにはアルチザンの溢れる思いに真摯に耳を貸し、埃にまみれた「旧式の織り機」を稼動させ、アルチザンと共に汗と埃にまみれながら根気強くデニム生地を織り上げてくれる腕のいい職人たちがいた。アルチザンの夢に少しずつではあるが、賛同者が現れ始めたのだ。
「日本製のセルビッチ付のジーンズができる!」アルチザンの心は躍ったが、肝心のパターンがない。

アメリカのジーンズのパターンをそっくりそのまま写しとったのでは、アメリカのジーンズには勝てない。何か斬新なデザインが必要だ。
アルチザンは唯一無二のジーンズのデザインを求め、アメリカではなく自分の原点であるフランスへ飛んだ。

シャンゼリゼ通りの最新鋭のブティックやショールームを巡るも、斬新なアイデアは中々湧き出てこない。日本に残してきた妻は、いつも苦しい顔ひとつせず、なけなしの資金をやりくりし、笑顔で自分を送り出してくれた。妻の為にも手ぶらで帰国するわけにはいかない。アルチザンが焦れば焦るほど、帰国の時間は刻一刻と迫る。あてもなくパリの街をさまよい歩くアルチザンの目に留まったのは、修行時代によく訪れたパリの蚤の市だった。古い雑貨や骨董品の店がずらりと並ぶパリ名物の蚤の市。その活気と空気がとても懐かしく、もの作りに対する情熱に燃えていたあの頃がつい昨日のことのように思えた。

小一時間ほど蚤の市の中を歩いただろうか、ヨーロッパの古道具を扱う骨董屋の前で、アルチザンの足が止まる。数十年前の職人たちが長年愛用してきたであろうあらゆる古道具の合間に、埃をかぶった1本のパンツが見えた。年代物のフレンチのワークパンツだった。アメリカのワークパンツとは明らかに異なる独特の太さを持つシルエットに、錆ついてくたびれたシンチバックが、アルチザンには輝いて見えた。「これだ!」

彼は早速そのフレンチワークパンツを日本へと持ち帰り、パターンの作成にとりかかった。


to be continued...

episode 3「DO-1誕生」




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