2014/10/21

STUDIO D'ARTISANの物語 episode 1「Back to 70s, マリジュアン」







「日本で最初にセルビッチジーンズ」を作ったブランド STUDIO D'ARTISANの物語
episode 1「Back to 70s, マリジュアン」

1970年代後半、大阪心斎橋エリアのある区域が「アメリカ村」と呼ばれ始めた頃。その一角に小さいながらも何か新しい特別な空気を帯びたショップがあった。お店の名は「マリジュアン」。

フランスで服飾を学んだ店主が、海外から買い付けてくる洋服の数々は、当時の日本では中々お目にかかれない独特の目線で選びぬかれた逸品ばかり。店内を彩るヨーロッパの骨董品を取り寄せた陳列棚や装飾品も、当時の人々からすると、とてもびやかで先鋭的で眩しく見えたに違いない。
現在でいうところの「セレクトショップ」の先駆けともいえるマリジュアンは当時、最先端のファッションを愛好する人々の間で瞬く間に話題となり、デザイナー、作家、ミュージシャン、絵描き、あらゆる種類の人々が出入りし、情報を交換しあうサロンとしても機能し、新たなるカルチャーを発信する場となっていった。
そのあり方はその後の「アメリカ村」という街そのもののあり方を象徴するような、最もピュアな原型だったのかもしれない。

そんな刺激的かつ最先端の海外ファッションを提案するマリジュアンの店主は、最先端のものだけでなく古き良きものにも愛着を持っており、こと「ジーンズ」に関しては「ヴィンテージ」という概念が生まれるはるか以前から愛好していた。彼は「マリジュアン」という場を拠点に「ヴィンテージ・ジーンズ」という古く、そして新しい概念を独自に築き上げ世に発信した最初の人物だったといえる。

彼はジーンズの「完成されたデザイン」に惚れ込み、数多くのジーンズをコレクションしていた。フランスのクラフトマンシップ(職人精神)に大きな影響を受ける彼が、ジーンズをただコレクションし、愛好するのには飽き足らず、「日本でジーンズを作りたい」と思うようになったのはごく自然な流れだった。彼はある時、自慢のジーンズコレクションを眺めながら考えた。

「戦後、日本人はアメリカの文化や産業から多くを吸収し、今や様々な分野で本国を凌駕することに成功している。アメリカ文化の象徴ともいえるこのジーンズも、日本で作ることができるのではないだろうか?」

1979年、マリジュアンの店主はブランドを立ち上げる。フランスで学んだヨーロッパ的クラフトマンシップと日本の職人精神を兼ね備えたブランドでありたいと願い、ブランド名は「ステュディオ・ダ・ルチザン」(職人工房)と命名。

しかし、メーカーではない、1ショップのオリジナルブランドである「ステュディオ・ダ・ルチザン」が、今のように設備もノウハウも一切完備されていない時代に、本格的なヴィンテージテイストのジーンズをつくることは困難を極めた。何のノウハウもない、あるのはジーンズに対する「熱い想い」と、日本人としてフランスで培った「職人魂」のみ。

彼は寝食を忘れ、ヴィンテージジーンズの解体に没頭する。縫製、生地、糸に至る細部を研究すればするほど、旧式の織機で織り上げられた、所謂セルビッチ(耳)付きのヴィンテージジーンズの完成度がいかに高いものであるかを思い知らされる。

「自分たちの登ろうとしている山は、考えていたよりもはるかに高い山なのかもしれない。しかし、この山を登ることは決して間違いではない。いつの日か、必ずこの手で日本で初めてのセルビッチ付きのジーンズを作ってみせる。」

もはや一介のショップ店主ではない、一人のアルチザン(職人)の姿がそこにはあった。彼の心に、決意の灯がともる。

to be continued...

episode 2「運命の場所」




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